2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

2022/03/29

読めない文字を書く。聞き取れない声を発する。そこにいる人に向けて。そこにはだれもいなくても向ける。 文字を打ち込むことに慣れすぎてぼくらはほんとうの文字を忘れてしまったと彼は言った。彼は逆立ちしながらそう言っている。本当の文字は読めない。 …

椿

花ひらいて 過程がみえ星が肛門に 夢の中で混雑しよごれているきれいな手 きれいなよごれている手もうだれにも見せないそこにあったことはぼくだけが知ってつたえないペットボトルロケットが打ち上がる空気は紙のように切れる火花のような花びら架空の距離ず…

2022/03/27

体が拡散している状態で。 書きたいこと。明日から。 草を編む手にふれて、お互いがちがうところにいるのに、同じ方を見る。 手のなかに宇宙がある、宇宙にはもう体はない きみときみときみはもうさよなら、 さようなら そして始まること、もうずっと前から …

いる、いない 2022/03/23

そこにいたひとりの女性が、ぼくのことばでいなくなったとぼくは思ったが、彼女にとっては「わたしはここにいるんだ」と思った。わたしはこんなふうにいるんだ、と。 ぼくにとっては彼女はいなくなった、いなくなった。彼女はぼくをとてもいると感じている、…

友人からの助言 2022/03/23

社会における関係において重要なことは、役割。自らの役割を意識すること。相手を捉えるとき、実像に行かず、イメージにとどまること。中に入って行ってはいけない。話を聞くだけの人、常に沈黙しているひともまた、その役割を担っている。役割は、場所があ…

2022/03/20

きっといろんなことがあってさ、ひとつのこと、たとえば見るってことを考えるだけでも、みんなちがう、もうすこし手のとどきそうなところに何かがあっても、その肉を噛んでいるところを想像してみても、気づいたら宇宙の真っ暗にいたり、水のなかで溺れてた…

2022/03/15

草を編み、日時計をつくると、時が影となってぼくらに示す。空と草むらに、草むらの中の野花に、その横にあるアルミニウムの缶に、飛びまわる斑点の定まらないてんとう虫に、時を見るように、ぼくらは目を向かわせる。 雑踏の中、ひとびとが行き交う。ひとび…

2022/03/14 異常について

吉本隆明の講演『言葉以前のこと─内的コミュニケーションをめぐって』を聞きながら絵を描いた。千葉雅也が「今、批評的な文章を志す人は、自分で具体的にものをつくるのを同時にやって、それとの相互作用で批評を考えた方がいいと思う。」というツイートを読…

吉増剛造×郷原佳以『デッドレターの先に……』から引用

「震災以後、吉本隆明さんの書かれたものを筆写するという少し狂ったような作業をつづけていたんですが、ちょうど郷原さんの「デリダの文学的想像力」の最終回あたりを読んでいたときに、デリダの初期の一九六八年に「プラトンのパルマケイアー」という大作…

机の上のメモ

固定化は、動いているものにとって必要であるが、動いていないものにとっては不要である。つまり自分自身が「動いているもの」でなければ、批評に意味はない。 固定化した現実を再固定化することで対象自身を揺らがせて対象自身の可能性を見出す 思考――言動…

2022/03/13 言葉を使うことは

ひとはひとりひとり別宇宙を生きている。相容れない相手だけではなく、通じ合っていると思い込んでいる相手も、自分とは違う宇宙を生きている。言葉は、別宇宙の相手に、こっち側から向こうへ、別宇宙を知るために送られる探査艇である。 ぼくらはなにもコミ…

2022/03/10

ジャック・デリダ『散種』の中の『プラトンのパルマケイアー』の書き写しを始めた。布地をほどく作業は、また布地を組織体として再構成する。切断力をもつ痕跡の背後で、一つ一つの読解の裁断の背後で、布地自身の織地が際限なく再生される。批評はテクスト…

語りかける

絵を描くときにさ、形を意識しすぎて、つまり目を信用しすぎて、つまらなくなっちゃうみたいにさ、写真もそうだし書もそうだし、小説も詩もそうで、そうしないためには狂熱を使わなければならないと、耳元で誰かがささやいているんだけど、そういったこまご…

実験としての草稿

体に耳をすませながら、見たり思ったり考えたりして、それが道具によってかたちになる。たとえば道具がなければ写真を撮ることはできない。写真のような絵を描くことは、絵の目的が対象を目で見た通りに描き出すことにあるのだから、一つの結果として当然で…