2022/03/14 異常について

 吉本隆明の講演『言葉以前のこと─内的コミュニケーションをめぐって』を聞きながら絵を描いた。千葉雅也が「今、批評的な文章を志す人は、自分で具体的にものをつくるのを同時にやって、それとの相互作用で批評を考えた方がいいと思う。」というツイートを読み、二月七日から書いている批評が、思考や読書の量ではなく、現実の視座を持たなければ、先へ進めないことがわかり、と同時に、批評対象が必要であることもわかった。

「私のよき友よ、範例を使わなければ、多少なりとも重要な主題を満足いく仕方で論じることは困難なのだ。というのも、私たちは誰でも、夢の中ではすべてを知っていたのに、目覚めて明晰になると何もわからなくなると言ってもよいかもしれないからだ。」
「とても奇妙な遭遇こそが、私たちの内部にある学知という現象に私を触れさせるように思われるのだ。」――デリダプラトンパルマケイアー』、註(2)から

 Kには、批評のためには、知識が必要なのではないか、と問われたが、今はまだ、崩壊過程にある。

「神田橋 自分の中で一つの精神分析の理論体系というものが完成して、そして、「完成した」ということの窮屈感があってね。自分の自由な連想は、もうちっとも湧いてこなくて、何かするとそれが全部理論的に自分の中で解説されてしまう。そんなふうなつまらなさがあって、一種の限界状況にあった。それが、本当にわずかなことで崩れるのよね。だから、ボクの内側に、崩れることを求めている何かがあったからでしょうね。
 崩れて、崩れてね、それで、帰り道はこっちが崩れてしまうものだから辻褄が合わなくなって、どうしたことかと思って、次の週に行って話をすると、また何かが崩れてね。それで、何もなくなったみたいになっちゃってね。」
「増井 だから、僕はときどき自分に絶望したり、自分はいったい何をしてきたかということを面接のときにはご破算にする。これはとっても大事なことではないかなと思っています。前田先生からは、「ご破算にする能力がある」と言われます。ご破算にすれば何も残らないのでご破算にできなに人がいっぱいいるけれど、ご破算にするのはその人が成長する大切な作業であるのは間違いない、ということを言われていました。」
「増井 (略)ベースに何もなかったら、ご破算もできんのではないかと。そういう捉え方をしていますけどね。」
「神田橋 ボクは、パデル先生による崩壊から立ち直るときに、明るみが出て、自由になって、自分の今まで使わなかった経験や体験の記憶が生きて使えるようになってね。「ああ、これは、才能のある人、資質がある人だなと思ったら、まず崩壊を起こさせればいいんだ」というふうに思ってね、それで、しばらくそうやっていたけれども、そうせんでも、ボクが普通に話して、普通にしておれば、たいてい相手が崩壊するんだとわかってね。」――『神田橋條治対談集』から

 崩壊過程、というより、崩壊から立ち直るところにあると言っていい。すべてのものがみずみずしく新鮮に見えるようでもあるし、あらゆるものがそこにあることがおそろしいと思う気もする。吉本隆明の前述した講演で、胎児のときの両親の状態が子どもに決定的な影響を与えると言っていて、妄想や幻覚などの異常性が発露する人は、両親の関係などの状態がよくなかったのだと、そこからぼくは、妄想や幻覚の異常性とは何かと、考えながら絵を描いていた。すべての個は別々の宇宙にあるのだから、その個が妄想や幻覚をみていても、異常ではないのではないか。だが、個と個の関係において、その比較において、異常があらわれる。空に豚が飛んでいるのをある人が目撃する。これは幻覚だろうか。だが、目撃者は多数いる。するとそれは幻覚ではなく実体であるから、異常ではない。だがもし目撃者がその当人ひとりであったなら、異常である。そして、その総数から判別される異常は、個が潜在的に持っている異常性と適合している。一つの宇宙である個にとって、世界は宇宙の内部であるが、同時に世界の外部である世界であり、宇宙の内部である世界と対応している。恋愛状態における特殊な察知能力(あなた、浮気したわね!と、何の証拠もないのに察知する女性のように)が異常ではないのは、世界自体に、その異常の下地があるからだ。世界自体に異状の下地がなければ、個が異常を発すれば、異常は異常のままである。
 ひととひとが関わるということは、はかりしれないほどのものがある。そしてそこに言葉があるというのは、なんておもしろいことだろう。このことさえ知っていれば、生きることは楽しい。しかしそこに亀裂が走り、ひととひとが関わることの深淵が覗かれ、おそろしい思いもするだろう。人間は言葉を生きている前に、現実を生きている。現実の次に体があり、その次に言葉がある。言葉がすべてだと思ったらそこまでだよ。言葉は、あらわれたと同時に打ち消すことで、現実に出会える。もっとたくさんのことを知りたい。