2022/03/29

 読めない文字を書く。聞き取れない声を発する。そこにいる人に向けて。そこにはだれもいなくても向ける。
 文字を打ち込むことに慣れすぎてぼくらはほんとうの文字を忘れてしまったと彼は言った。彼は逆立ちしながらそう言っている。本当の文字は読めない。
 いつまでそこにいるんだ、と何度も聞いたけど、同じ場所にい続けることも、それを意識し、自覚することができるのなら、すごいことなんだ。あなたは当たり前のことしか言ってないけど、って言ってたけど、ぼくにとっては奇跡のようなことだったから嬉しかったんだ。
 でも、なにも変わらないことほどつまらないことはないから、ぼくは撹乱する。肉体の抵抗や内臓の発露、感覚器官の鋭敏さを鉈と剃刀の混合物、あるいは鉛筆と万年筆と消しゴムと修正液の混合物、唾液と便と血の混合物、それらすべてを混ぜ合わせた混合物を、きみに送るよ。
 ざくろやいちじくのように、正常なものの世界で分裂する。目を閉じれば見える。目を開けていたら決して見えない。抵抗を感じ取ることも大事だし、無抵抗の流れに身を任せることも大事だけど、ちゃんと耳をすませて、休んでね。
 いろとりどりのペンの感覚はどこにまで届くだろう? 写真のおもしろさは一瞬であること、文字や声やそのための言葉を使わないこと、カメラを使うこと、息苦しい写真も撮れるけれど、監獄の柵のついた窓から見える外の景色のなかに飛び込んでいくような解放があること、小説を手に持ちながら写真を撮ることができること、撮った写真をだれにも見せずに、自分自身さえも見ずに、全削除することができること、雨を雪のように撮ることができること、一歩も歩かずに千通りの写真を撮ることができること、死ぬ瞬間を、写真で撮ることはできないということ……
 そしてカメラがなければ、写真家はみな無能である、という断言に対して、抵抗することのできる目をぼくらは持っていて、目はきっと沈黙を支え、沈黙を閉じ込めながら解放する、まばたきをする瞬間、決定的なことが起こるからさ、ぼくの目を見ていてよ。