2022/04/14

 毎日四千字書く修行、七日目。昨日の時点で感じた限界が、文体模写と手紙、という形式が自然発生したことで、別の展開となって再始動した。Kと話して言われたことは特別な啓示となった。お前は自分自身を見ることで変わるのではなく、誰かと、あるいは何かと比べることで変わるんだな。お前は書くために読むのではなく、読むために書くのだ、読むことを変えるために書くのだ、と言ったけれど、読むと書くの間には、現実があって、その三つが影響し合っているんだよ。Kは一人暮らしを始める。ぼくも頑張るよ。
 実際は手紙は、自然発生ではない。声と文字、そしてある種の厳しさから、書くことになった、そこから。だれかに何かを伝える。でもそのだれかを特定のひとりにせずに、無数にすること。あなたは近所に住んでいて、あなたは移動する、あなたはじっとぼくを見ていて、あなたは歴史の話ばかりする。ここには四人いる。しかしあなたである。あなたに束ねてから、あなたを解放する。舞踏家のTは鏡が苦手だと言っていた。鏡に映る自分の方に、自らの主体性が奪われている気がするのだと。あなたたちは鏡ではない。それでもぼくの分裂の兆しは、光と反射としてあらわれる。そう、ぼくは適当なことを言っている。でもあなたの「内在化することは大切です」「ひとと話すということは、必ずズレが生まれるものなんだよ」という言葉を、ぼくは大切に持ち続けます。「何かを決めるときに、自分自身の中にいる信頼できる誰かに、相談すること。例えば、その相手に手紙を書いてみること。もちろん想像上で。その(想像による)返事で、決めること」という言葉も。これから数日間、手紙による可能性を考えます。四千字原稿は、そのために費やされることでしょう。ぼくは、想像ではなく、書くことでしか考えることができません。いや、話すことでも考えることができます。でも気取ったジェスチャーや、悩みを自慢のように理知的に話すことで、本来語られるべきことからどんどん逸れていき、死滅していく。そうならないために書き、その原稿を支えるもう一つの糸口が、文体模写なのです。
 書くことが文字だけのものではないことはもうわかっているはずです。そこにはさまざまな動きがあり感情や感覚があり肉や血があり自然や人工物がある。ぼくはあなたに向けて書いています。あなたはもちろんどこにもいない。いるとしたら、人間のようにはいない。ぼくらはハムスターやトノサマバッタや蚊やダニや微生物にも手紙を書くことができる。もちろん擬人化するのかもしれませんが、人は人とつながるためだけではなく断ち切るために関係するのです。ぼくは現実で拒否されたり嫌な顔をされたり不快に思われたり怒られたりすることがすごくうれしかった。生きている感じがした。だからぼくはいろんな人に話しかけるよ。迷惑をかけたらごめんなさい。先へ行くよ。話すことも書くことも変えていくよ。そう、読むことと書くことの間に現実があり、という彼の言葉に付け加えるのなら、現実の中には話すことと聞くことがある。話すと聞くは書くと読むと同じくらい大切なのです。なぜならきみは、関係性に生きているからです。そして関係性を言語化することに血を流しているからです。絶対、を、ぜったい、とか、ぜっったい、とか、ぜっっっっったい、とかと書き換えるのは、操作であり、そこには何も宿らない。本は読むものではないから心配するな。お前の興味なんてどうでもいいんだよと言われればそれまでだ、さようなら。ぼくらは戦うことを覚えた。戦車を潰すのは文字ではない。ミサイルや爆弾だ。だが戦車やミサイルや爆弾をつくるのは文字である。ぼくらの工場にはベルトコンベアーの上に文字が流れている。それを作業員たちが組み立てていく。ありがとう、作業員さん。あなたはぼくに変な民族的な像を売ろうとした。馬鹿だな、お前は。直接性と間接性とか、そんな対立をいちいち作らなくていいから、労働しろ。はい、先生。なんですか。もしかするとモーツァルトは本当に女性の大便を食べていたのかもしれません……
 窒息を使うのなら、必ず呼吸器を用意しておくこと。いやそれでは危険すぎるから、窒息のぎりぎりを使うこと。それも危険だと思うのなら、窒息の二歩手前で止めておくこと。ぼくらは眠りながら覚醒することを覚えた。死んだ文字は焼いてしまうこと。例えば、世界。草の茂みに入っていって、誰もが見たことがないほどに強力に咲く赤い椿の無数の花を、じっと見て、そっと手で包み、自らの意思でその手を切断すること。ぼくはあなたが好きです。どうもありがとう。でもわたしはあなたにとってのあなたではありません。そうですか。膿んだ二の腕をそっと切開して、そこから小さな赤子を取り出し、一瞬で頭と首をちぎり取ってしまうこと。おはようございます先生。ぼくはあなたではありません、はい。