君がここにいる理由はわかるが、なぜ私はここにいるんだ 2022/04/03

 今日、初めて油絵をやった。ぼくは、作るためには読むこと、見(観)ることがなければできないが、ふしぎと絵は無の状態で描くことができる。ある一つの否定に対しそれを肯定することで否定性を浮き彫りにするその操作、あるいは、耐えず自らを論駁する批評の手つきを、色彩に溶かしてゆくこと。書くときの音、それは筆跡のその引っ掻きだけではなく、自らの心臓の律動、内臓の歪み、淀み、そのあらわれとしての所作、しかし、創造の飛翔は肉体からの離陸である、という定説に対し、文字あるいは言葉が体を浮かせること、実際に浮くこと、浮くだけではなく何かが起こること、そこから音が聞こえてくること…声、文字が自ら声を発する。それを病的な妄想であると打ち捨てることなく、構築し破壊し構築し破壊し構築し破壊すること。最もすぐれた鑑賞者は自分自身である。ゆえに人に委ねないこと。ぼくは色彩が好きだ。
 

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