2023/04/25
考えることはやめたーー で は な く
考え
る こ
と
は
や め た
で は な く
か ん
が
え
る
こ と は
も う
で き な い
苦痛よ、春の息
どれほどの努力も、花のように散る、
言葉、は 狭い場所で呼吸してる
く る し いん だ
春の日の声
今日もぼくらは呼吸する
短い人生だったーー
2022/06/24
お前は何も言わなくていい。じっと聞き入るだけでいい。ベルトコンベアーに乗せられる必要はないし、方法的手捌きに煽動される必要もない。そういうときは思い出すだけでいい。何を思い出すかなど、言わなくていい。考えも、表層に浮かべる必要はない。静かに。時計の針に耳を澄まし、それが時のうごきを感じることになるまで。その地点で、ものを見ればいい。見なくてもいい。目はなくても、眠っていても、体は反応している。反応ではない。呼応し、呼吸している。世界と私、あるいは私たちは対等である。だから私たちは無数の神であり、カーテンの神、布団の神、床の神、クローゼットの神、コンピューターグラフィックの神、そうしてあらゆる諸芸術の神となる。だからここに、一つの石があっても、解剖することができる。身体が拡張できるのは、脳によるのではなく、内臓がまさに植物のように花を咲かすからだ。種を散りばめるからだ。時の制約に、あるいは紙面の限界に、織り目をつける。編んでゆく。老婆の手つき。しわくちゃな手。そばにいる少女の目。透明なものと澱んだものの交差。時間軸もまた文字であり、水に濡れ、それもまた呼吸している。ディスプレイは呼吸していない。ディスプレイの文字も呼吸していない。でも文字が遠くにまで行けるのは、紙の制約から解放されたからだ。今ここ、から、物質から、幽体のようにすり抜けて、通り抜けていく。
■
貧弱の道筋を立てて日々眠る。カラヤン指揮マーラー交響曲第九番第一楽章繰り返す。夜にパトカーは来るし叫んだら車止まるし。安いレタスの汁を飲み干したい。もしも狂気がそうしてやってくるのだとしたら僕にはうれしい。誰もが見たことがないし、僕は平気だ。それは病的です。はい。時間は止まってしまう。違うなくなるのです。もう僕は人のためには生きられないので、はい。時間はなくなるし、天井のしみは広がっていくだけ。時間はもうないから、安心して。時計の針は喉に突き刺さる。それが止まらないから笑える。どんなことも僕には出来る、ともう一人。おいおい、大丈夫かよ。安上がりで済んだから、まあいいけど。手は心の形をしていない。思い込みがすべてであると言い切ったりしない。助けてと言われれば目は向ける。時間が流れているかのように振る舞う。もう少しで迎えがくる。僕ははっきり言って異性を異性として見ることに興味がない。秘密が暴かれたら最後です。声は全てではないから、うつくしいひとを好きになったりするらしい。時計は止まっている。汚れている。犬を蹴り飛ばす。時間は止まっている
2022/06/06
運動。その人がわたしをやさしいと言ったからといって、ガーニャのように小踊りすると、当然何かが失われる。全身は感覚を通り越して、ある高まりに入ってゆく。これも視座、これも技術。
そこから(どこから?)平行線が交わり、それを知ることはできない。知らない場所でどのようなことが問題とされるかを、考えることはできない。
晴れた日に、砦を前にして、それを自らの肉だと思い、砲撃を撃ち込まれ、心身を失ったと思い込む兵士は、おそらくどこにでもいる。
文章が体から頭に至らずに、書くことができ流。そこに確かな飛躍があると知ることが、運動を信頼することである。
走るからと言って、どこへ行くかなんて、誰も考えていない。考えられるのは走る前だけ。
2022/05/30
読むことも書くことも、少し離れたところから見て、じぶんのことではないように感じ、花を育てるようではなく、じぶんの手を土に入れて、そのまま泥遊びをするように体をなじませ、いつか土になることを夢見る。
時間は限られている。イポリートがした演説のようではなく、限られた時間を永遠に生きるように手を動かし続ける。間断なく。人に見せるためではなく。
小さな声も恐れて。小さな声が白蟻のように家屋をこわしていくのを、肌の内側で感じて。
感じられない人の手をつないで。時間にかたちを作って。
空から大きな手が伸びてくるように、隣の人の話を、それだけではないものにする。