2022/06/24

 お前は何も言わなくていい。じっと聞き入るだけでいい。ベルトコンベアーに乗せられる必要はないし、方法的手捌きに煽動される必要もない。そういうときは思い出すだけでいい。何を思い出すかなど、言わなくていい。考えも、表層に浮かべる必要はない。静かに。時計の針に耳を澄まし、それが時のうごきを感じることになるまで。その地点で、ものを見ればいい。見なくてもいい。目はなくても、眠っていても、体は反応している。反応ではない。呼応し、呼吸している。世界と私、あるいは私たちは対等である。だから私たちは無数の神であり、カーテンの神、布団の神、床の神、クローゼットの神、コンピューターグラフィックの神、そうしてあらゆる諸芸術の神となる。だからここに、一つの石があっても、解剖することができる。身体が拡張できるのは、脳によるのではなく、内臓がまさに植物のように花を咲かすからだ。種を散りばめるからだ。時の制約に、あるいは紙面の限界に、織り目をつける。編んでゆく。老婆の手つき。しわくちゃな手。そばにいる少女の目。透明なものと澱んだものの交差。時間軸もまた文字であり、水に濡れ、それもまた呼吸している。ディスプレイは呼吸していない。ディスプレイの文字も呼吸していない。でも文字が遠くにまで行けるのは、紙の制約から解放されたからだ。今ここ、から、物質から、幽体のようにすり抜けて、通り抜けていく。